義経夢の会

源義経が過ごし終焉を迎えたとされる『平泉』。 しかし、義経は生き抜き北の大地へと落ち延びたのではないか?義経北行伝説を追求する

「 yurintoringmailcomの記事 」 一覧

山崎純醒先生ブログ 義経北行伝説

山崎先生16:蓮華寺の悲惨な歴史

2017/11/15  

蓮華寺の歴史を紐解けば、文明2(1470)年3月、白山神社別当家第18代遠山中務(なかつかさ)重任(しげとう)の時、近隣の豪族大迫左近太郎と長岡九郎高国との間に争いが起き、中間点である赤沢の地で戦闘に ...

山崎純醒先生ブログ 義経北行伝説

山崎先生17:阿弥陀堂と紫竹の池

2017/11/15  

尚、現在建てられている阿弥陀堂は、当時のものでないことは言うまでもないが、当時建っていた場所だったかどうかも実は定かではない。礎石らしきものがあったので、その上に建てたもので、現在は「向学堂」の名で親 ...

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山崎先生18:矢島と的場

2017/11/15  

義経が蓮華寺に6年間修行滞在している間、弓術と乗馬などの武術 訓練や、写経、 薬草処方などを学んでいたことは、 先の解説で述べた 通りであるが、 その事実があったればこそ、矢島と的場の地名が今の残 っ ...

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山崎先生19:義経手洗いの井戸

2017/11/15  

義経は、武術の訓練を終えると、湧き水が溜まる大角家の井戸に決まって立ち寄り、喉の渇きをうるおしたと云う。 大角家は赤沢の金山下代(げだい、金山採掘を管理する役職。経営管理する金山本締(もとじめ)の下で ...

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山崎先生20:義経神社(判官堂)

2017/11/15  

義経神社はその名の通り、義経を神とする神社で、正式名称は判官堂(ほうがんどう)である。大角家が代々、自宅敷地内にある判官堂を祀り、義経の由緒を守り伝えている。同家の屋号も判官堂である。判官堂のお札には ...

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