陣ヶ岡の場所を地図で見てみると、周囲には小山すらない全くの平地に位置している。もし太古に自然に隆起してできた地形であるなら、周囲にも陣ヶ岡と同じ丘陵があってもよさそうなものだが、それがない。広い平野に、陣ヶ岡は完全に孤立して佇んでいる。
そのこともあって、陣ヶ岡は人工的に造られた丘陵だったのではないかと昔から云われてきたのであるが、地図で見ると、それを裏付けるように、ある規則性をもって陣ヶ岡が存在していることが分かるのである。
陣ヶ岡の周囲には三つの「館山」があり、その館山を直線で結ぶと、正確な二等辺三角形が形成されるのだ。辺の距離は9.18kmである。
また、2つの館山と城山公園にある祠を結ぶ線は、直角二等辺三角形を形成している。
また、陣ヶ岡は、前述の義経神社の解説で述べた通り、周囲の山や神社と密接なネットワークを形成している。ここまで規則性が認められるとなれば、陣ヶ岡が自然にあったのではなく、その位置に造営しなければならなかったから造られたのだと、言わざるを得ない。
この陣ヶ岡からは、発掘調査が何度かあり、弥生時代のものと思われる多数の土器や埴輪が出土している。