これは言い伝えであるのだが、日本武尊がこの地に宿営した
際、随行していた妃(ミヤズヒメ 美夜受比売)が、陣ヶ岡で出産
したという。しかし、長旅の疲れもあって体力衰え、肥立ちが悪か
ったために、皇子は3日目に薨去(こうきょ)したという。 日本武
尊は、我が子の死を嘆き悲しみ、 墳墓を造営して埋葬し、その
霊を弔ったという言い伝えである。
蜂神社の裏手に「王子森古墳」の石碑が建っているのは、そ
ういう由縁で建てられたものである。 この伝説がある故に、 陣
ヶ岡はかって古墳だったのではないかとささやかれる理由がる
のである。
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