昔、陣ヶ岡には幾つかの堂宇が建っていたという。みな、焼失して今は無い。蜂神社は源義家が建てた神社であるが、藤原氏滅亡後の建久3(1192)年5月に反乱があり、太田、中島と延焼し、陣ヶ岡にまで到達して焼失したという。その後、斯波家長によって再建され保護されたという。
しかしまた寛文4(1664)年9月に童子が枯れ草に付けた火が延焼し、大火となって陣ヶ岡一帯を焼き、多くの民家と蜂神社が焼失した。この時、社宝であった神鏡4個は、搬出かなわず焼失している。安政年間(1854―1860)に、地域の人々がお金を出し合って再建。その後、拝殿が老朽化し、大正時代、地域の人々によって再び建て直され、今に至っているという。現在の拝殿は4代目ということになる。
尚、斯波家長は蜂神社を再建した他、男山八幡宮を勧請したり、萬亀山千鶴寺を建立するなどして、陣ヶ岡の保護に努めたが、これらの寺院も焼失し、今は、あった場所に標柱のみが建っている。
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