義経夢の会

源義経が過ごし終焉を迎えたとされる『平泉』。 しかし、義経は生き抜き北の大地へと落ち延びたのではないか?義経北行伝説を追求する

山崎純醒先生ブログ 義経北行伝説

山崎先生4:なぜ赤沢なのか

投稿日:11月 16, 2017 更新日:

義経夢の会』事務局次長の良子(ながこ)です!

義経夢の会』お頭の山崎純醒先生の研究レポートよりご紹介いたします‼

では、この赤沢が、なぜ義経の逗留地に選ばれたのか…?

語ればきりがないくらい、実は様々な状況証拠があげられるのです。 それらのことを、列記すれば以下の通りです。

  1. 平家と鎌倉の探索方の目を欺く為にも、義経を平泉にかくまっておくには危険であったので、秀衡が赤沢の地で逗留するよう薦めたこと。
  2. その赤沢が、奥州藤原氏にゆかり深い、先祖・経清とその母が暮らし、初代清衡が生まれた土地であったこと。
  3. 赤沢には中尊寺と密接につながる天台宗大本山蓮華寺があったこと。また、その寺で、かねて望んでいた法華経の経典を学び、写経の修行ができたこと。
  4. 白山神社の当時の別当が、経清の甥・師重であったこと。
  5. 赤沢は、前述した通り、武術訓練に適した土地であったばかりでなく、平泉に次ぐ軍事拠点であったこと。
  6. 紫波の領主樋爪氏は清衡の孫であり、秀衡と厚い信頼で結ばれる血縁であったこと。
  7. 赤沢には、軍資金備蓄の為の金山が数多く存在していたこと。
  8. 都人を接待できる樋爪館があったこと。ひいては鎌倉と平家の動向を聞いたりできること、さらに平泉と十三湊の情報を知るに都合の良い中間点であったこと。

これだけ並べれば、義経の赤沢逗留の理由も、うなずけるし、否定しようもないのです。

 

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