『義経夢の会』事務局次長の良子(ながこ)です!
『義経夢の会』お頭の山崎純醒先生の研究レポートよりご紹介いたします‼
義経の「空白の6年」を埋める伝説が、実は、岩手県の平泉から盛岡に向かう途中、少し遠野寄りの紫波町赤沢の地に、今もしっかりと残されている、といったら、あなたは信じてくれますか?
義経、空白の6年。紫波町赤沢で埋まる?
岩手県紫波郡紫波町の東部にある赤沢という地区には、義経が、16歳から22歳までの6年間(正確には5年と数ヶ月)逗留したとされる伝説が、今も数多く残されているんです。
その中には、ちょっとしたロマンスなどもあったりして…。
そして、その恋は、代々子孫にひっそりと語り継がれて、なんと、現代までその血脈は続いていたりして…
その核心は、義経の子孫であると伝えられていて、今もなお判官堂(義経神社)を守り続けている大角家の存在であったり。
あるいは、乗馬の訓練や弓の訓練をした場所と云われる鐙越(あぶみごし)や的場(まとば)・矢島という地名が、義経の滞在を裏付けているかのようにあちらこちらえと点在していることであったり…。
または、義経が湧き水を飲んだと云われる『義経手洗いの井戸』が残っていたり、地元の由緒正しい白山神社には、義経が使ったと伝えられる弓と空穂(うつぼ)と弦巻の三点が残っていたり、、
盗難盗掘に遭わないようにと、その収納場所は神社を守る一族のごく少数の者にしか伝えられていないのだといいます。
ほら、義経の赤沢逗留は、紛れもない事実であったのである…と思えてくるでしょう?
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