『義経夢の会』事務局次長の良子(ながこ)です! 『義経夢の会』お頭の 山崎純醒先生の研究レポートよりご紹介いたします‼
さて、山頂に登らないと気づかないのだけど、この山は、かつて防御柵を施したような城構えの構造になっていて、かつてはここが、敵の侵入を防ぐ柵としての機能を果たしていたように想像されます。
先生の『源義経周辺系図解説』より資料を借りますが…。
音高山の南東200mに、小高い丘陵地があります。その山を登ると、そこは明らかに7段構えの城柵の構えをしていて、難攻不落の要害といった趣きを呈しています。
では、何故この二つの山がそのような構造になっているのか?
それは、この赤沢の地が金山の宝庫であり、金山から集められた砂金は、この丘陵地に集められたと考えられるから。
この丘陵地は、かつて砂金格納施設があった場所であり、略奪から防ぐ為の城柵でもあった訳ですね。
その事実を裏付けるかのように、周囲には館が建っていたという伝承も残っています。
紫波町の金山は、実に62ヶ所が確認されています。
その内、赤沢地区には、女牛金山、舟久保金山、赤坂金山、赤沢中金山、元沢金山、大日向金山、百沢金山、仙北壇金山、孤土金山、金牛金山、漆山金山、山屋金山、遠山金山の13の金山が知られています。
その金を採掘する際に、山の神を鎮めるための宗教儀礼を執り行ったのが白山神社でした。
きっと義経、弁慶らも、その儀式に参列したに違いない…。また、この地の金山をくまなく視察し、時に掘削作業にも加わったのかもしれない…。
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