蜂神社境内の西側100mほど下ったところに、県の重要無形文化財に指定されている「日の輪形・月の輪形」の史跡が今もしっかりと形を残している。
この由来は、康平5年の前九年合戦の時、源頼義・義家父子が、安倍貞任追討の為、三万三千の兵を率い、この陣ヶ岡に布陣した時に遡る。
兵馬の飲料を得るため、陣ヶ岡に池を掘って湧き出る水を兵馬に与えた。その池に9月15日、源氏の旗印である日月(太陽と三日月)が突如顕われ、燦然たる光を放ったという。
これを見た兵士たちの士気は大いに鼓舞され、将軍頼義も「勝利の吉兆なり」と喜び、直ちに池の中央に太陽と三日月の中島を造らせた。そのあと一気に厨川柵に攻め入り、打ち破ったという伝説である。
その後、寿永元(1182)年に、藤原秀衡がこの地を訪れ、その吉兆の話を聞いて感服し、頼義・義家父子の戦跡を偲び、修道浄化の場として池を円形に改修造営した。それが今も残る日の輪形、月の輪形なのである。
かつては人が泳げるほど掘りは水で満たされていたというが、今は水が干上がり、ただの草地となっているのだが、月の輪形と日の輪形は、目視でもはっきりそれと分かる形を残している。ただ、955年という歳月の中で徐々に風化し、その形が小さくなっていることは確かである。このような史跡は全国に比類がなく、極めて珍しい史跡となっている。
この掘り跡に、数日だけでも水を満たして、かつてのような池を再現したいという機運が高まり、昨年5月に「日の輪形・月の輪形 仲秋の名月観月会実行委員会」が立ち上がり、同年9月13日から18日までの6日間、池跡は見事に水を湛えて、新聞等にも大きく報道された。
仲秋の名月にあたる9月15日には、多くの町民がこの池に集い、観月会が催され、茶席の野点サービスや巫女舞いの披露、箏曲の演奏、講談「秋風陣ヶ岡」などで観月会を盛り上げた。
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