尚、現在建てられている阿弥陀堂は、当時のものでないことは言うまでもないが、当時建っていた場所だったかどうかも実は定かではない。礎石らしきものがあったので、その上に建てたもので、現在は「向学堂」の名で親しまれている。
向学堂は、かつてあったであろう紫竹の池跡(現在は田んぼ )の真東にある斜面の平地に建てられている。
およそ2間四方の堂宇であるが、その斜面に、東北地方には珍しい紫の竹が繁茂している。いつの時代かは不明だが、白山神社別当が京都から取り寄せたものだと伝えられている。地元では「紫竹(しちく)」と呼称しているが、この紫竹を京都の植物学者が調査にきた折り、「紫竹」ではなく「刺竹」だろうという話になったという。刺竹は学名Bambusa stenostachya Hackel、和名シチク である。空洞がないのが特徴で、幹全体が暗紫色で、葉は淡黄緑色。本種は台湾特産で、日本では九州以南で育つ竹である。
紫竹なのか刺竹なのかはさて置き、紫竹だとすれば、その竹が現在まで朽ちることなく繁茂しているのも不思議なことである。
何故ゆえ京都の竹なのかと言えば、京都市北区の西隣にある西南町内には「紫竹」の地名が残っており、紫竹郵便局もある。
←京都紫竹郵便局の風景印
京都・紫竹の地名の由縁は、紫竹が繁茂していたからだという。近くには牛若丸が誕生して産湯をつかった井戸もあるという。
であるなら、義経が京都の紫竹に深い思いがあるのは当然であろう。想像たくましく言えば、義経が秀衡に所望して京都から紫竹を取り寄せたと考えても不思議ではないし、そうであってほしいという思いもある。歴史のロマンをいやまして掻き立てる土地。それが赤沢なのである。
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