山崎純醒先生ブログ 義経北行伝説

山崎先生15:義経空白の6年

『義経夢の会』事務局次長の良子(ながこ)です! 『義経夢の会』お頭の山崎純醒先生の研究レポートよりご紹介いたします‼

世にいうところの「義経空白の6年」は、まさにこの蓮華寺で武術の訓練はもちろんのこと、呪術、祈祷、写経、薬草の処方、砂金採集の方法など、知識の習得に明け暮れた6年間だったのである。
義経が平泉の秀衡を頼って、鞍馬寺を出たのが承安4(1174)年2月、16歳の時。それから兄・頼朝の出陣を知り、黄瀬川の陣に馳せ参じたのが治承4(1180)年10月21日、22歳の時であった。この間の6年間の義経の動向は、『吾妻鏡』を含めたあらゆる史書に全く記されていない。義経の正史が歴史に初めて登場するのが、黄瀬川の陣で頼朝に初めて対面した時から突如始まるのである。これが世にいう「空白の6年」である。


義経が赤沢の地に6年滞在したからこそ、矢島・的場・鐙越といった地名が、消えることなく今も残り、地元の住民が親しみを込めて語り継いできたものと考えられる。

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