山崎純醒先生ブログ 義経北行伝説

山崎先生13:蓮華寺由縁

『義経夢の会』事務局次長の良子(ながこ)です! 『義経夢の会』お頭の山崎純醒先生の研究レポートよりご紹介いたします‼

蓮華寺は密教系天台宗の寺で、平安時代建立の寺院である。
義善覚慶(俗名穂積清重、?年―984年)を開基とし、奥州藤原
氏が全盛を極めた頃、隆盛を誇った寺院と想像される。
当時、中尊寺と同格の、大本山格の寺院であったと伝え
られる。
今にいうところの蓮華寺とは、薬師堂、阿弥陀堂、砂金格納施
設、白山神社、それに、かつてあったであろう金堂や、言い伝えら
れる百の僧房・堂宇を含めた全体を総称して「蓮華寺」と称してい
る。
蓮華寺が「廃寺」になった年代は不明だが、『紫波町史』には
「近世以前に廃寺になったもののようであるが…」としている。
薬師堂から向かって右側には、板碑群が立ち並んでいるが、その中には鎌倉時代後半の紀年銘の碑が複数基あり、鎌倉期までは繁栄を誇った信仰の場であったことを示している。
薬師堂から西に400mの所には、梵字が刻まれた磨崖碑があり、正和元(1312)年銘が刻まれている。蓮華寺は、この付近までの寺域であったとなれば、規模は東西300m、南北500mの範囲が寺域と推測され、中尊寺に比肩する寺院群であった可能性が指摘されている。
現在、紫波町遠山の正音寺に安置されている平安時代後半の毘沙門天立像と五大明王は、元来「蓮華寺」の仏像であったとされている。
本堂がどこにあったのか、今もって定かではない。『紫波町史』によれば、赤沢川南岸の「向井」がその旧地とされている。この地点には、仏堂のものと思われる礎石が残っており、そこが阿弥陀堂跡だったのではないかと伝えられてきたが、一堂宇ではなく、本堂の中の一部ではないかという考え方に変わってきている。
周囲には無紀年の板碑(経清母の墓碑と同じ中世の石の供養碑)が立っており、中世以前の寺院であったことが伺われる。

山崎純醒先生講演会、開催のご相談

山崎純醒先生の講演会の開催を企画される方は、こちらのページからお申し込み下さい!
↓↓↓↓↓

    -山崎純醒先生ブログ, 義経北行伝説

    © 2024 私の国