『義経夢の会』事務局次長の良子(ながこ)です! 『義経夢の会』お頭の山崎純醒先生の研究レポートよりご紹介いたします‼
薬師堂、毘沙門堂、阿弥陀堂は、蓮華寺の鎮守社として建立されたもの。 かつて堂宇は、百を越えるほどあったと伝えられている。これら一連の堂宇を含む一帯を指して「蓮華寺」と総称しているのだが、阿弥陀堂は清衡が建立。毘沙門堂と薬師堂は、秀衡が建立した他、白山神社を再建、神領を寄進して手厚く保護したと伝えられる。
古記録が焼失した為に、建立年は不明だが、これらの堂宇も三度火災にあって焼失し、現在四度目の再建となって現在に至っている。
かつて白山神社と共にあったといわれる天台宗大本山格の「蓮華寺」の位置は、薬師堂を基点にし、周囲の山と夏至・冬至の太陽の日没位置を精密に計算されて建立されていることがわかっている。薬師堂は、平泉の接待館に似せて建てられたのではないか。そして、当時その機能を充分に果たしたのではないか。とすれば、規模も相当大きかったのではないかと想像されるのである。
←七仏薬師如来立像
薬師堂に安置されている「七仏薬師如来立像」(写真参照)は、岩手県指定文化財となっている。薬師如来は、病者を救い、苦しみを除くという仏。高さは120~130cm。いずれも右手は施無畏印(指をやや曲げ、掌を前方に向けて挙げる相)で、左手は掌を上に向け薬壺を持っている。
この七仏は、奥州藤原氏の時代の仏像で、三度の火災からも守られたことを示している。製作年代が12世紀代であり、全国的にみても大変貴重な事例である。
薬師如来は、東仏土「浄瑠璃世界」に住む仏であるが、薬師堂が樋爪館跡から東の位置に建てられていることを考えると、それを意識して奉られたものと想像する他はない。
薬師堂は、赤沢の地元の薬師講がお護りしており、毎年12月8日に御祭礼をとり行っている。この行事は、平安時代から900年間続けられてきた貴重な祭礼行事となっている。
紫波町にかつて存在した多くの寺院は、明治初頭の悪法、廃仏毀釈令によって、そのほとんどが廃寺となって消滅してしまったが、この薬師堂は、信徒の厚い信仰心によって、その悪法から守られた稀少な事例であり、かつ、樋爪氏の仏教文化を現代に伝える稀少な事例ともなっている。
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