『義経夢の会』事務局次長の良子(ながこ)です! 『義経夢の会』お頭の山崎純醒先生の研究レポートよりご紹介いたします‼
義経が鎌倉の満腹寺で頼朝に宛てて書いた、あの有名な『腰越状』には「…身を在々所々に隠し、辺土遠国を栖(すみか)となして、土民百姓等に服仕せらる。…中略…しかのみならず、甲骨を枕となし、弓箭を業となす本意は、亡魂の憤りを休め奉り、年来の宿望を遂げんと欲するの他事なし」とあるのですが、「辺土遠国」とは、この赤沢を指しているのではないかしら…?
また「土民百姓等に服仕せらる」とは、赤沢で百姓たちと一緒に、砂金採りをしたり、田畑を耕したりして暮らしていたことを、正直に語ったものではないのかしら。
そして、この土地の人々は、きっと、義経を「やんごとなき人」として仰々しく扱うことはしないで、同じ人間としてわけ隔てなく接したのではないかしら。
腰越は、京都から鎌倉に入る際に必ず通らねばならない通り道。父の汚名を濯ぐ大活躍をしたと思って官位を授かる義経、武士の権威を高めるべく独立の道を目指す頼朝…兄弟の思惑はあまりにも違って、交わらない。
この緊迫する時間を支えたものは、遠い赤沢での時間だったかもしれません(*^_^*)
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